フィルムカメラを使っていると言うと、大体こんなことを聞かれます。大体の場合は、説明が面倒だし言葉で伝えられる気がしないので、愛想笑いで胡麻化したり、煙に巻いて終わりにしてしまいます。

・フィルムカメラの何が良いの?
・デジタルカメラじゃダメなの?
・スマホで良くない?


しかしながら、滔々と好きなものに関して持論を語れる人は魅力的です。もし、魅力的に自分をみせる事ができたら、いい風景スポットを教えてもらえたり、モデルさんをお願いすることができるかもしれません。ここで一つフィルムカメラに関して語ってみましょう。
0. 手放せない程に時を過ごしている
これは趣味に関心が薄い人には、理解されにくい気がしますが、一番の理由はこれかなと思います。
私は16のころからフィルムカメラに親しんで、よく学校の暗室にこもっていました。機材はNikonFMとNikkor50mm1.4だけでした。当時は写真部が廃部寸前だったので部費で買った印画紙と薬品は独占していて、お小遣いでフィルムを買って大事に撮っていました。
それが続いてもう10年で、機材やフィルムの自由度は上がりましたがやっていることは変わりません。そうなると交友関係や深い思い出にはすべてカメラと暗室が存在して、それが当たり前になっています。もはや、今となってはカメラなしでの日常というのはとても退屈だし、カメラ以外をあまり知らないので自分を無能に感じます。だから、もうカメラをぶら下げて生きていくしかないのです。


1. 撮影時に写真を見ないリズム感
フィルムで撮影した時、その場では写真の確認ができず、現像の必要があります。これは不便ではありますが、ある種気楽に構えることもできますし、結果的にいい方向に向かう事もあります。
例えば、いい風景が見られる場所に行った場合には、デジタルカメラであれば満足のいくまでたくさんのパラメーターを調整したり、構図を変えてみたりして、結局イメージ通りにできないことも良くあります。一方でフィルムカメラであれば、複数のカットを撮影しておくことはありますが、その場で写真に一喜一憂することはありません。その潔さがフットワークを軽くし、旅行先でのスナップやポートレート撮影で良いリズム感を生み出してくれます。
このリズム感はカメラにかける時間が減った分、被写体にかける時間が増やせるという側面があります。その余力がモデルさんのより良い表情を引き出したり、もっといい撮影ポイントを探すことにもつながります。写真はカメラの設定やレタッチも重要な要素ですが、やはり被写体にご機嫌でいてもらうことが一番大事かなと思うので、気遣いができる余裕をシステムとして作れているのが良いと感じます。


2. 暗室で自問自答すること
現像液の中に浸し、定着液に至るまでの2~3分ほどはずっと被写体と対面することになりますが、その時間に多くのことに気づかされます。
ピントがあまい、水平がずれている、被写体が緊張している、明暗差が強すぎる…など反省することは多いです。特に私はポートレートが多いことから、被写体がどのような気持ちでそこに立ってくれていたかを強く感じます。適度な緊張感の中でカメラに対峙してくれていたり、破顔した様子を撮れた時はとても嬉しいですし、逆にうっすらと怯えを伴った緊張を見たときには申し訳なく感じます。このように写真の技巧的な反省や被写体の観察、その時の自分の精神状態などに思いを巡らせる時間というのは貴重で大切な時間だと思います。


3. 美しい諧調と粒子感、バライタの深い黒
デジタルと比較した場合には高解像や微粒子という点ではライカ判はやや劣るかもしれませんが、中判や大判ではフィルムの方がまだ優れたところがあるように感じます。一方で作品として評価した場合には、ライカ判の粒子感というのは良い影響を与えていることが多いです。そういう意味ではどのフォーマットもそれぞれの良さがあります。
そして両方に共通するのは、バライタ印画紙の黒の深さというのは素晴らしく、シャドーの表現には価値があるということです。バライタ印画紙は取り扱いがやや面倒ですが、その紙の厚い質感や黒の深さは美しいです。RCも最近のは綺麗ですが、やはりバライタを使ってしまいます。それくらいバライタは良いものだと思います。


4. まとめ
今回は敢えてフィルムという点に絞って考えてみましたが、フィルムカメラの様々なギミックやデザインも面白いですし、そもそも写真が楽しいのだと思います。
フィルムは日々高価になって、フィルムカメラも一時期よりは値段が上がって買いづらくなってきていますが、新しいフィルムが発表されるなど意外にも先は明るいのかもしれません。フィルム写真というものが一つの文化として残っていって欲しいですね。